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Reincarnat

幸運が三度姿を現すように、不運もまた三度兆候を示す。

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エピクロス主義 

二度と調べるのも面倒だからメモ。



快楽は、唯一最高の善であり、人間の生活の目標である。
ただし、この場合の快楽とは、精神的なものであり、具体的には、(精神的、肉体的)苦痛が存在しないことを意味する。

すべての知識の根拠は感性的知覚であると考え、徳を養い、実践することによって得られる精神的な快楽を追求した。



「快が現に存在しないために苦しんでいるときこそ、われわれは快を必要とするのであり、苦しんでいないときには、われわれはもはや快を必要としない。」

「贅沢を最も必要としない人こそが最も快く贅沢を楽しむ。」

「それゆえ、快が目的である、とわれわれが言うとき、われわれの意味する快は、道楽者の快でもなければ、性的な享楽のうちに存する快でもなく、じつに、肉体において苦しみのないことと魂において乱されないこと〔平静である〕ことに他ならない。」

「一切の選択と忌避の原因を探し出し、魂を捉える極度の動揺の生ずるもととなるさまざまな臆見を追い払うところの素面の思考こそが、快の生活を生み出す。」


また、公人としての活動は、さまざまなわずらわしさの渦中に人を巻き込み、結局は苦を生みだすことにもなる。
したがって、有名な〈隠れて生きよ(ラテ・ビオサス Lathe biosas)〉のモットーが、この哲学者の生活の信条となった。



もっとも隠れた生活とは言っても、それは孤独な隠筒生活を意味しない。
友人たちとの友情にあふれた交際は、静かな快、静かな喜びをもたらす一つの道なのである。

結局、この快楽主義の帰着するところは魂のかき乱されない平静な境地であり、彼の言葉によれば〈平静不動〉とは〈静かな快楽〉にほかならないのである。(斎藤 忍随)

2012/01/10 Tue. 22:46 | trackback: 0 | comment: 0edit

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